-第12作- 「クリスチャンと罪の関係は?」
先日、新改訳第3版について、新改訳聖書刊行会のHPを見ていたら、第一ヨハネ3章6、8、9節の改訂についての説明が載っていました。「わかもの」でも第一ヨハネを読んでいますから、今回は、この個所の訳の変更から考えたいと思います。短く抜粋します。(…は中略)
「これまで…「罪のうちを歩む/歩みません」と訳されていたものを、今回の改訂では「罪を犯す/犯している/犯しません」と変えました。…単純に訳せば「罪を犯す」とか「罪を犯さない」といった訳になります。しかし、そのように訳すと、クリスチャンは一切罪を犯さないと述べていると理解され、罪を犯す可能性を教える一章八節、一〇節、二章一節等と食い違ってしまいます。そのため第二版では、…(1)ここに「習慣的な罪」が語られていると解し、「罪のうちを歩む/歩みません」と訳したわけです。…他に有力な解釈はふたつあります。(2)ひとつは、「罪」を意図的な罪ととることです。クリスチャンは意図的に神に逆らうことはしないという考えに立った理解です。…もうひとつの可能性は、(3)クリスチャンは本来は罪を犯す者ではないという意味で「罪を犯さない」と語りうるという理解です。クリスチャンの本質、理想の姿が語られていて、同時に罪を犯さない者に変えられて行くようにという求めにもなっていると解する者もいます。」
皆さんは、どの解釈がふさわしいと考えますか。著者ヨハネは、どういうつもりでこの言葉を用いたのでしょう。私は、現時点では、3番目が妥当ではないかと考えます。前回のコーヒー集会で言われたように、「理想と現実」の二元論を展開しないようにと心に留めつつ、主の求めと期待をしっかりと受け止めて、光の中を歩みたいですね。
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