2003/09/08

-第10作- 「死についての日常会話」

野村卓一

3歳の娘が車の中で言いました。

「パパとママもいつか死んじゃうの?あおぐちゃんとひらくんみたいに、たくさんごはん食べれば元気になれるんじゃないの?」

幼い娘が、いつかは親も死ぬことをどうして意識したのか分かりませんが、とにかく、彼女は死がいやなものだと感じたようです。

「どうしてそんなこと聞くの」と反対にたずねると、「だって、悲しいんだもん」とのこと。

あるクリスチャンの方に、唐突に失礼な質問をしてしまいました。「年齢を重ねると死を意識しますか?」

ところが、返ってきたことばに脱帽しました。

「クリスチャンなら、いつでも主のために死ねる覚悟ができているものでしょ。年齢の問題じゃありません。」

日曜日の朝、小学生たちが聖書のことばを繰り返し覚えています。

私はキリストとともに十字架につけられました。もはや私が生きているのではなく、キリストが私のうちに生きておられるのです。いま私が、この世に生きているのは、私を愛し私のためにご自身をお捨てになった神の御子を信じる信仰によっているのです。

聖書 ガラテヤ人への手紙 2章20節

「まだ」現実には経験していないけれども、キリストの十字架において「すでに」自分も死んだ者であるとの意識があるか問われるここ数日の日常会話でした。

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