-第8作- 自伝(autobiography)のすすめ
神学生のクラフト部屋へようこそ。今日は「自伝」について。さて、「自伝」と聞くと、何となく、おこがましく感じますよね。「大したこともしてないのに、そんなものを書くなんて!?」じゃあ、自伝の意義とは、自分の立派さを言いふらすことなんでしょうか?そうじゃないと思うんです。それは後に続く者たち(特に子ども)のためのものです。自伝を書き残すことを勧めたい理由の中心は、経験や知恵の継承です。
子どもにとって、親の影響は、良くも悪くも計り知れません。子は、親によって方向付けられます。ごく当然のことです。ただ、その親がどのように育てられ、どのように生き、考え、感じてきたか、ということが、ある程度、はっきりとわかる形で示されること。それは、子どもが自分の人生を生きる上で、本当に大切なことだと私は思うんです。少なくとも、親が生きている間に、直接、親から聞ければいいのですが、死んでしまっては聞けません。だから、書いて残す「自伝」を勧めたい。
どうですか?自分のルーツって、意外と知りませんよね。だから、あなたが経験してきた経験そのものと、それによって得た知恵、そして現在の評価などを、包み隠さずに、かっこつけずに、残しませんか?愛する子どものために。子どもがいない人でも、将来のために。いや子どものいない人にも勧めたい。少しずつでも、若いうちから書いて、折々に改訂・更新するんです。私もそろそろ始めようと思っています。いや実は、少し書いています。可笑しいですか?
ところで、私は卒業論文を書く準備をしています。今は、「割礼」について調べていますが、「継承」ということと関連して、思うことがあります。神がアブラハムを選んで、契約を与えた目的は何かと言うと、アブラハム本人のためでもあるんですが、実は、その子どもや子孫のためだと書いてあるんです。
わたしが彼を選び出したのは、彼がその子らと、彼の後の家族とに命じて主の道を守らせ、正義と公正とを行なわせるため、主が、アブラハムについて約束したことを、彼の上に成就するためである。
生田丘の上キリスト教会では、子どもと一緒に礼拝を捧げていますが、それは、子どもも大人と共に神様に招かれているからです。子どもたちは、自分で礼拝することを選んだわけではありません。
事実は、親に連れられてきたんです。でも、一定の年齢になると、どうして礼拝するのか、その根拠が必要となります。洗礼を受けるかどうか、ということを考えるときにも、それは重要なことです。そこで、当然、親の影響下にあることを意識します。子どもがそれをどう評価するか。神を礼拝することは、親の選んだことであって、自分とは関係がないと断絶してしまうのか、それとも、親が選んだことと自分を結びつけて考えるか、ここに分岐点があります。子どもが自立するときに、神を礼拝する者とされていることを、自ら正しく評価し、また選び取るために、親は、自分の経験を子どもに話し、共有することができます。
だから、だからこそ、「自伝」を書こうじゃありませんか?子どもはそれを待っています。
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