2003/05/05

-第7作- 『教育』について考えませんか。

野村卓一

家庭と学校、教会。教育に関して、それぞれをどのように位置付けますか。神を恐れる教育を教会と家庭で行なっても、学校が正反対のことを教えてしまうこともあります。だからといって、昨今、話題に上るホームスクールやチャーチスクールのように、学校から子どもを切り離してもいいでしょうか。孤立が恐いのではなく、この時代に教育責任をいかに果たすべきか、という積極的な問いのつもりです。

理解の前に、「前理解(または世界観、価値観)」があります。だから、私たちにとって、神の御心を知り、理解することと、教育の問題は切り離せません。良くも悪くも影響されやすく、まだ批判力を持たない子どもにとって、それは、前理解を形成することになるからです。そして、それは子どもの将来に大きな前提を与えます。責任はやはり親にあります。

たとえば、相対主義や多元主義の世界の中で教育を受ける子どもは、いつのまにか、絶対的なものなどないと心底信じ込んでしまうのです。そのような「絶対的真理の否定を持ち出して、結局は、多元主義的考えを絶対的なものと見なさせる強制力が働いている時代でもある」と言う人もいます。

さて、国家が持っている絶対確実な切り札は、昔も今も「教育」です。教育基本法の「見直し」論議があります。「愛国心」や「日本の伝統を重んずる心」のようなことが挙げられていますが、その遠回しの表現の背後に何が想定されているのか考える必要があると思います。戦後60年を迎えようとする今日、日本はどこに向かうのでしょう?それは教育に対する考え方に表現されていると思います。「日本の伝統」「愛国心」。本質的な部分が変わらない日本において、「教育」をどう捉え、神から委ねられた子どもへの教育責任をいかに果たしていくか、是非、みなさんの意見を伺いたいのです。

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