2003/04/19

-第6作- 考える足?

野村卓一

先日、友人の書いた文章を読み、感銘を受けた。その題は、「質問してもいいですか」。フランシス・シェーファーという神学者が著した『そこに存在する神』という本を彼が読んだ上で、彼自身が考えさせられたことが分かり易く書いてある。少し抜粋すると・・・。

「クリスチャンになるためには、全部とは言わないまでも、ある程度、人間の持つ合理性をあきらめなくてはならない。そういう考えがどこかにあったのだと思います。(中略)どうやら私は、合理的なものや論理的なもの(歴史や科学等の領域)と、信仰の領域を切り離して考える傾向にあったようです。」

さて、私が何に感銘を受けたかと言うと、その友人が考えて、それをことばにしたことにこそ感銘を受けたんです。考えて、ことばにすること。実は、私がもっとも苦手とすることです。考えても、ことばにできなければ、考えが纏まっていないだけで、いつもここで苦しむんです。みなさんは説教準備がどんなに大変か知ってますか?神学生として、将来、教会で毎週の礼拝説教や祈祷会の奨励をするためには、聖書が本当に言っていることを考え、教えられ、そしてやっぱり、ことばにする必要があるんです。ホント大変です。

考えたことをことばにしていくことが本当に大切だなと思います。みなさんも、いろんなことをあらためて考えてみたらどうでしょうか?是非一緒に考えましょう。

ルカの福音書12章54-57節

群衆にもこう言われた。「あなたがたは、西に雲が起こるのを見るとすぐに、『にわか雨が来るぞ。』と言い、事実そのとおりになります。また南風が吹きだすと、『暑い日になるぞ。』と言い、事実そのとおりになります。偽善者たち。あなたがたは地や空の現象を見分けることを知りながら、どうして今のこの時代を見分けることができないのですか。また、なぜ自分から進んで、何が正しいかを判断しないのですか。

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