-第2作- こだわり一考!?
「『こだわり』の人」と言われ、ずっと嬉しく感じていました。でも、この言葉の微妙な意味を最近考えるんです。
前回、私は自分を指して「僕」と称しましたが、今回「私」にしました。特に「こだわり」がないからです。でも、変われないこともあります。それこそ「こだわり」です。いろいろ考えることは、間違いではありません。問題は、こだわりの方向です。
自分へのこだわりが強いと、私は正しい選択をしてきたと自分を正当化します。でも、神の御前に自らを真っ直ぐに見るなら、間違いと失敗だらけ。どうしようもない自分。恥まみれの現実。矛盾。到底、自分にはこだわれません。でも、もうこだわらなくてもいい。神様が私を選んで下さったからです。
これは論理の飛躍じゃありません。自分の現実を知っている。だからこそ、神様のすばらしさを知っているんです。神様がどんなお方かということにこだわるとき、自己正当化のジレンマから抜けて、本当に自由になれるのではないでしょうか?「こだわり」について、そんなことを最近考えています。
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