|
聖霊の働き第二回「祈りにおける助け」
御霊も同じようにして、弱い私たちを助けてくださいます。私たちは、どのように祈ったらよいかわからないのですが、御霊ご自身が、言いようもない深いうめきによって、私たちのためにとりなしてくださいます。
●序
パウロは「すべての祈りと願いを用いて、どんなときにも御霊によって祈りなさい。」と言っています。その意味を私たちは厳密には考えたことがないのではないでしょうか。そのためにローマ人への手紙8章のみことばは、ふさわしい聖書箇所です。ここに祈りにおいて聖霊が、いかに私たちを助けるか、いかに私たちを導いて下さるのか、描かれています。
●望みという助け
まず初めに、ローマ書8章全体に注目しましょう。18節で「今の時」には、クリスチャンに「色々な苦しみがある」ことが明らかにされる。救いは最終的には未完成ですから、主イエスの再臨まで、クリスチャンには「色々な苦しみ」がある。
しかし、パウロはその苦しみについてこう言っているでしょう。「今の時のいろいろの苦しみは、将来私たちに啓示されようとしている栄光に比べれば、取るに足りない」パウロは、やがて受ける栄光の望みを思うとき、今の苦しみは取るに足りないと慰めている。しかし、私たちを助けるのは、この望みだけではありません。パウロは、色々な苦しみの中で、私たちを助けるもうひとつのことがある。それが26節「御霊も同じようにして、弱い私たちを助けて下さいます。」栄光の望みが、私たちを支えるように、同じようにして、「御霊も弱い私たちを助けて下さる」というのです。私たちには、聖霊の助けがあるでしょう、と彼は語りかけるのです。
●祈りにおける弱さ
御霊がどのように、私たちを助けてくれるのか。私たちは、ふたたび、御霊の働きの特徴をここで見ることができる。「弱い私たちを助ける」というのは、奇跡的な手段で助けると言うことではない。ここは少し特徴ある言葉が使われていまして、「共に、代わりに負う」という言葉です。聖霊は、私たちの弱さを共に担ってくださるお方です。
「単に私たちを助けるというのではなく、私たちと一緒に重荷を負って、これを軽いものにしてくれる」(カルヴァン)ことです。 詩篇68編にある「ほむべきかな、日々、私たちのために、重荷を担われる主。私たちの救いである神。」これと同じことです。聖霊は、私たちが苦しむとき、その苦しみと共にいて下さる神なのです。避けどころなる神である。私たちのあらゆる弱さを、共に、身代わりとなって担っているお方です。 では、弱い私たちを聖霊はどのように助けるか。そのひとつの実例として、パウロは祈りを挙げ琉のです。26節後半。「私たちはどのように祈ったらよいか分からないのですが、御霊ご自身が、言いようもない深いうめきによって、私たちのためにとりなしてくださいます。」どのように祈ったらよいのか分からないのは祈りにおける私たちの弱さです。私たちが良く聞く質問です。どのように祈ったらよいのですか。祈りを教えて下さい、と人々は言う。ただ「どのように」というのは、祈り方のことではない。祈りのマナーではない。それならば、私たちは良く知っている。どのように祈ったらよいか分からない、というのは、何を祈るべきか分からない、ということです。祈りの内容を指している。何を祈るか分からないのです。これこそ、私たちの祈りの最大の弱点です。
●神の御心と祈り
あらためて、祈りとは何かを確認しておきたい。私たちの祈りは、神の御心が何か、という問題と切り離せないことです。これこそ私たちの祈りの最大の特徴です。祈りの願いは「神の御心に一致すること」です。しかし、一般の人々は、そんなことはお構いなしです。自分にして欲しいように、なんでも身勝手に神に求める。お金が欲しい人はお金、名誉が欲しい人は名誉、健康を願う人は健康、なんでも自分の欲のままを願う。しかし、クリスチャンの祈りは、神の御心がいつも絡んでくる。この複雑な世界において、具体的な状況において、私たちはしばしば、御心が見えてこない状況に直面するのです。そのようなとき、私たちは祈りを中止すべきなのか。いや、パウロは、そこに聖霊の助けがあることを教えている。聖霊ご自身が、言いようもない、言葉にはならない深いうめきをもって、私たちのために、あるいは、私たちの代わりに、祈って下さるというのです。
●聖霊の執り成し
聖霊はどのようにとりなすのか。聖霊が私たちの心の中において、私たちの代わりに祈って下さるのだから私たちはもう祈らなくて良いのか。もちろん、そうではない。聖霊は私たちの祈りと共にある。それは私たちの祈りと共に、私たちの祈りの上に、その下に、共にある祈りなのです。そして、聖霊が私たちの内に正しい願いを与えてくれるのです。そのような聖霊のうめきが私たちの中にある。
これは、私たちが普段意識していないけれども、しかし、事実、その聖霊の祈りが私たちの心に働いて、私たちの祈りが御心にかなうように、共に祈っていて下さるのです。私たちの罪の弱さのゆえに、曇ってしまった神の御心を、明らかにしてくれる。だから、どう祈るのかわからない。何が最善なのか分からない、何が御心なのか分からない。どの職業に就くべきか、どの科目を履修すべきなのか、どの人と結婚すべきなのか、何をどう祈って良いのか分からない、そういう自体に陥っても、祈ることを止めてはならない。神の御霊は私たちの内に私たちの祈りと共に働いて、それが御心にかなう祈りとなるように導いているからです。ですからどう祈って良いか分からなくても、失望することはない。祈る中に助けがある。
戻る←
|