2003/01/17

「主にのぞみをおく幸い」

牧師 鞭木由行

幸いなことよ。ヤコブの神を助けとし、その神、主に望みを置く者は。(5節)

詩篇146篇

あけましておめでとうございます。

本年もよろしくこのHPをご愛読下さい。

●ハレルヤ

今年最初の聖書の言葉は、詩篇146篇です。この詩篇の特徴は、ハレルヤで始まりハレルヤで終わっていることです。「ハレル」とは「ほめたたえよ」という命令で、最後の「ヤ」は「ヤハウェ」で、全体としてハレルヤは、「ヤハウェをほめたたえよ」という意味になるわけです。ただ、その命令を誰に向かって言っているか、これが注目すべきところです。

私のたましいよ。主をほめたたえよ。(1節)(

彼は自分自身に向かって、その命令を発しているのです。彼は、ひょっとしたら落ち込んでいたのかも知れません。神への賛美を忘れていたのかも知れません。そうできないような状況にあったのかも知れない。だから彼は自分自身に対して、賛美を呼びかけ、励ましているのかもしれない。これは信仰者の特徴ではないでしょうか。信仰者は、自分を突き放して、客観的に見る。自分を対象として話し合い、語りかけることがができる。私たちも、年の初めに自分自身に向かってこのように呼びかけてはどうでしょうか。

彼は、自分に対する呼びかけに、みずから応答しています。2節です。

私は生きているかぎり、主をほめたたえよう。いのちのあるかぎり、私の神に、ほめ歌を歌おう。(2節)

生きている限り、いのちある限り、私はほめたたえます。彼は自分の全生涯をそれにささげることを誓っている。私たちの生涯は、当然ながら、限られたものです。新しい年を迎えてまた一年死に近づいたと言えるでしょう。刻一刻と定められた時が近づいてくる。私たちは死を向かえるとき、結局自分は何のために生きたのだろうか。どのような生涯を経て、主の前に出ようとしているのでしょうか。自分の生涯は、神の栄光のためであったと言うことが、できるでしょうか。「生きている限り、主をほめたたえる」それが私たちが神を第一としていることの証です。

●人間に頼ることの危険

次に作者は人間に頼ることの愚かさを指摘する。

君主たちにたよってはならない。救いのない人間の子に。(3節)

「君主」とは、人間的には頼りになる人の象徴でしょう。「お金と権力」とを握っている。そのような人間に頼ろうとすることは、私たちの普通の傾向です。私たちの弱さです。かつて預言者エレミヤも言いました。「人間に信頼し、肉を自分の腕とし、心が主から離れるものは呪われよ。」これらは、いつも、繰り返されてきた失敗です。私たちも目に見えない神より、目に見える人間に頼ろうとする。神に頼ることを真剣に求めるのであれば、先ずこの否定面が取り扱われなければならないでしょう。これは、聖書全体を貫くメッセージです。

なぜ、人に頼ることはだめなのか。それは、次の4節に明確に書いてある。

その息が絶えると、その者はおのれの土に帰り、その日のうちに彼のもろもろの計画は滅びうせる。(4節)

人間は、彼自身短い命を持っているに過ぎないからである。それはすべての人間の定めです。ですから人間的なものはすべて頼りにならない。にもかかわらず、なぜ君主に頼るのか、なぜ人間を頼りとするのは、それは、君主が一時的には頼りになるのです。人間も一時的には頼りになる。そこに、私たちが人間の助けを求めて言う理由がある。人間の腕力も、お金も、地位も、名誉も、学識も、一時的に頼りになることがある。しかし、作者は、人間が信頼するものを、永遠の観点から見ているのです。

●神に頼るさいわい

5節から、いよいよ作者の主題が出てきます。5節をご覧下さい。

幸いなことよ。ヤコブの神を助けとし、その神、主に望みを置く者は。(5節)

人間に頼ることと対比して、神に頼ることのさいわいが、ここで宣言されている。これは、私たちにとって案外困難に感じるときがある。助けが必要なとき、人間に向かうことが多い中で、彼は、本当のさいわい、本当の祝福は、神に頼ることであるという。本当の喜びは、神と共にある。

なぜそういえるのか。その後で彼は神について記述する。6節では神の創造者であり、真実な御方であることを語る。7節から9節まで、神が与える具体的な助けを描きます。

しいたげられる者のためにさばきを行ない、飢えた者にパンを与える方。主は捕われ人を解放される。主は盲人の目をあけ、主はかがんでいる者を起こされる。主は正しい者を愛し、主は在留異国人を守り、みなしごとやもめをささえられる。(6節)

これらは。最終的に、イエス・キリストによって実現する。それ故に、神に信頼することのさいわいを語っている。

私たちが年の初めに当たり、自己点検すべきは、私たちは神に信頼しているかどうかということでしょう。神に信頼するということは、いつも「待つ」ことを求められる。その最善の時は神が知っているからです。焦って何かをするならば、殆どの場合神への信頼を失っている時です。

「立ち返って、静かにすれば、あなた方は救われ、落ち着いて信頼すれば、力を得る。」

イザヤ書30章15節

静かにすること、落ち着きと信頼、その中に勝利がある。それは、神を信頼することのさいわいです。強引に自分の結論に誘導しようとすると、あくせくすることになる。主の御心の実現を願うことが、主に対する信頼です。新しい年も、主に信頼することの幸を経験する年でありたい。

この宣教は、1月1日の元旦礼拝の宣教を元にしたものです。

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